「UTU」とは「ユーティーユー」と読むが、最近開発された鬱の程度を表すスコアだ。UTUが1.0を超えると抗うつ薬が処方され、1.0を下回ることが2ヶ月続くと、鬱病からは脱したと認定され、休んでいた仕事に復帰することが認められる。2.0を超えると抗うつ薬は2種類以上が推奨され、仕事などを休むことが義務づけられる。3.0を超えると入院が勧められる。本人の意思とも、医者の技能とも関係なく、客観的に得られる数値によって、診療がスムーズに進むようになってきている。
なんて話は現実にはないのだが、ぜひともUTUがあって欲しいと思う。自分がつらいのは、やる気がなくてサボっているのか、それとも鬱のせいなのかを教えて欲しい。サボってるなら頑張るから。でも、よく考えてみると、かつて鬱じゃなかった頃は「これは鬱のせいなのか、それとも違うのか」なんて、悩んだことがなかったから、そんなことを考えていること自体が、鬱の証明であるのかもしれない。
精神科の医者もなんだかうさんくさいと思う。話していることだけを元にして「じゃぁ、良くなってますね」とか「薬を変えましょうか」とか「増やしてみましょうか」とか。こっちがちょっと症状を軽く言ったり、選んで言ったら、全然方針が変わってしまうじゃないか。この間もそうだったから、全然信用できなくて、もらった薬も飲んでない。
でも、よく考えてみると、医者に誤った情報を教えたのは自分だし、「心臓の血管が詰まってますから即座に入院です」って内科の医者に言われたら、全然理解できないけど「うさんくさいから帰ります」とはならないわけで、精神科だって専門家が言うことは信じてもいいのかもしれない。「血液検査の結果トロポニンが上昇しています」と言われても全くわからないけれど、そうですか、って言うもんな。
UTUが上昇していれば、自分の症状を理解してくれやすくなると思ったけれど、「あぁ、UTUも落ち着いてるから今日は楽でしょう」と言われた時に、実際はメチャクチャつらかったらすごく困る。逆に「UTUが上昇しています」と言われた時に全然つらくなかったら、別につらくないままだ。そうすると、UTUがどうだって何か影響を受けることはないわけで、意味がないのか。単に「つらい」と思っている時は重症、「つらくない」と思っている時は軽症、としてもひょっとすると同じ話か。
他人に自分のつらさをわかってもらえない、というのも、考えていた時はすごく深刻だったけど、よく考えてみると、胸の痛みでも頭痛でもなんでも、他人がそのつらさを直接わかってくれることはないわけだ。数字で表されるものにしたって、熱が40℃だったら大変だってわかるけど、トロポなんとかがいくつに上がっただったら、言われても言われなくても一向に判断できない。
あんなに「わかってくれない」「わかってほしい」と思っていたのは何だったのだろうか。「そこまで含めて症状なんだよ」って言われたけれど、腑に落ちないけどそうなのかもしれない。なんでも、自分が病気であることを認めない、というのが、症状の一つにあるらしいけど、自分が「つらい」って思うだけで重症だったら、そんなの誰でも病気になれることになっちゃうじゃん。
だから、自分がつらいと思っていても、勝手に決めちゃいけないんだよ。だから自分は鬱じゃないんだ。あとは気持ちの持ちようだ。それにしても、今日はつらい。でも、このくらいのつらさはみんな持ってるんだろうなぁ。がまんがまん。あぁ、でもつらいなぁ。誰かこのつらさをわかってくれないかなぁ、UTUないかなぁ・・