鬱には休養が勧められるが、休養の意味を履き違えている人が周りにいると休めない。12-25に書いた「気分転換」などもそうで、日頃と違う環境で気分を変えてやればすっきりするんじゃないかと考える人もいるが、環境が変わる時点で大きなストレスである。誰かと一緒だったらその人と接するのにも神経を使わなければならないし、相手によっては、いかにも楽しく過ごしているように振る舞わなければならない。あらゆる行動をするための気力が少なくなっている状態であるから、できるだけその負荷を少なくしてやることが大切だ。
例えば職場を休む。上司から「仕事のことは気にしなくていいぞ」と一回言うのはいいかもしれないが、同僚が「心配だから電話をする」であるとか、連絡を取るたびに「仕事のことは大丈夫だから」と言ったりするのは、むしろ逆効果になるだろうと思われることが多い。元々休むこと自体に罪悪感を持っていて、でもどうしようもならなくなった末に休む。家では、そんな休んでしまって、周りに迷惑をかけている、ダメな自分について落ち込んでいる。そこへ「仕事は」などと話題に出すこと、ひいては職場の人からの連絡一つでさえ、負担になる場合が考えられる。
中には「あなたが早く良くなるように祈ってる」と言う人すらいる。身体的な病気で、治るめどがあるならいい。しかし、自分はもちろん早く復帰したいし、そうなるべく努力できることがあるならしたいと思っている。しかし実際は、そうして空回りすることも精神を消耗させるし、努力のようなことは何もしないでいることが最善の治療である。それを聞いて「やっぱり早く良くならなきゃダメなんだ」「良くなれないのは私が悪いんだ」「そんな自分はダメなんだ」とドツボにはまっていくかもしれない、そんな祈りは百害あって一利なしだ。
鬱に必要な休養とは、ストレスを少なく、dutyを少なく、できるだけ何もしないで過ごすことである。人との関わりはしばしば負担になりうるし、思いをかけていることをどのようにして伝えることがいいのかというのは、非常に難しい問題だ。ただ、電話が鳴ってもそれを取れない状態があるとか、「心配してる」と伝えることとか、「気にしないで」と言うことでさえ、受け取る方の状態によってはつらく感じることになるかもしれないことなどを、頭に入れておくことが望ましいと考えられる。善意が苦しめることになっては悲しい。